大きな樹へ寄りかかれずとも

各々の考え方、感じ方、どういった基準で「他者」と判断するのか、「他者」に対してどういう姿勢をとるのか、

そういったことが日本では、昨年から見えやすく、かつ見えざるをえない状況になってきた。

 

持っている知識や感性に、以前はとっても共感して尊敬していた人でも、

この新しい風景のなかでは、今まで見えてこなかった部分や考えが見えるようになり、

それはときに、残念だな、とか寂しさ、悲しさも引き起こす。

人が何を大切に思い、守ろうとしているかで色んな立場はあるのだろうからしかたがない。

 

けれど、私はそう感じている今の自分にほっとしている部分もある。

すごく尊敬して、見上げていた人に、盲目的に追随せず、違和感を覚えられる自分の感覚に安心した。

全能の人と思っていた、この人に付いて世界を見れば安心、と勝手に感じていた人と、

ちゃんと距離を置けて、その人を観察できたことに胸を撫で下ろす。

 

大きな樹の下にいて、寄りかかったり、その樹がつくってくれた木漏れ日から世界を観ることは安全だし楽しかったり美しかったりしたけれど、

ちゃんと自分の足で立って、吹き荒れる風のなか、もっと周りを見渡さなきゃいけない。