『エリ・エリ・レマサバクタニ』を観たよ!

少し前に。

「芸術」のなかでは、絵は停滞し、閉じ込めて存在し続ける感じで、映画は時間と共に流れるものではあるけど、過ぎても低音がずっと底で流れ続けてるようなイメージ。

いっぽうで音楽は、絵や映画と違って一瞬一瞬が蒸発、昇華してゆくような印象があって、だから「回復」にすごく適したものだと思う。音の一粒一粒が宙に浮かんで消えてゆくような。自分のなかにある負性のものも一緒に引き連れてすっと消えてくれる。

劇中の、自殺をしたくなる病気に有効な音楽は、耳に馴染みやすいメロディラインもない、音の断片を収集・分解してつくるある種のノイズに似たものだったけど、あれも、流れとしての音楽ではなく、一粒一粒の音の集積だったから、そういった病気の気持ちも分子同士がくっつくように共に昇華させるイメージがとても連想された。音楽の憑依性。

演者であるミズイもハナも、音楽によって追体験・憑依を通過することで「回復」が可能だった。

 

印象的だったのは、死ぬ瞬間の人の様子が、夢見るようにすうっと死に手を伸ばすようだったところ。直前まではその恐怖に怯えて抗うとしても、人間は本質的には心の底で死への憧れというものがあると思う。

 

冒頭の、人が全然いなくて埃っぽい絵がかっこよかった。そんなところで音を求めて集めて回る二人組。

ただ今となっては、人だけが街を残して去ってしまったような情景を見ると、そういった地域がフィクションでなくこの日本に存在するのが思い出されて、物語に入りきれない。

映画では、感染すると死にたくなる病気によって絶望が世界を覆っていたけど、今の日本だって状況はたいして変わらないのではないかな。ただちに死ぬわけではないけれど、得体の知れない物質を浴びながら、日常を薄い絶望が覆っている。