孤独の果てには

一昨年の夏、心身の均衡を崩していた時期に読んだ、アリソン・スミスの短編 "スペシャリスト" に出てくる孤独を抱えた女の中に在るブリザードの描写が、そのときの私とぴったり合わさっていて印象的だった。

何をする気にもなれなくて、一日中ソファに寝そべっていた。音楽を聴くことも億劫で、無音の部屋で、クーラーだけが動いていて、でもずっとソファに横たわっているから革がべとついて不快で、毎日早く今日が終わることを待っていた。でも眠れない夜が来ることもまた新しい朝が来ることも絶望に感じた。

時間も音も止まった室内で、私の心のなかには圧倒的な孤独のブリザードが吹きすさんでいた。外側も、私自身の情動も静止しているけど、体内には冷たい吹雪が吹き荒れている感じが、"スペシャリスト"を読んで言葉にされていたので、ほっとするような、ひやりとするような気持ちだった。

 

あの夏や秋をどうにかやり過ごせたのは、友達が以前にコピーして渡してくれたCDのおかげだった。

どうしようもなく気力もなかったけど、そのCDをかけて一緒に思いっきり歌うことで停滞する状態を紛らすことができた。真夜中にいてもたってもいられないときは車を出して、CDを大音量でかけながら歌うことで、死なずに済んだ。

特別大好きとか思い入れのあるというわけではないCDだったけど、あれがあったので私は助かった、と今でも思っている。

そんなわけで友達には、ありがとう、君のおかげで生きられてます、と言いたいけど、言っても伝わらないだろうし、そんな機会もないので言えていない。ただ感謝は密かにしている。

あの子が何の気なしにくれた物で救われたこと、あの子は露ほども知らないだろう。

まったく自分の知らぬところで誰かを救ったり、ひどく傷つけたりしてるんだろうな。

 

そして、今年春がやってきて、どうにもあの気配がする。まずは、わけのわからぬ焦燥感。それから冷たい吹雪がひゅうひゅうと舞い始めている。

寂しさと自意識に殺されそうでこわい。