中心にはいたくない

雨男/雨女、晴れ男/晴れ女という言葉には昔から「?」って漠然と違和感が浮かんでいた。

「俺・私って雨女だから〜」って言葉にはなんだかイラっとすることがある。

この表現のどこにそういったものを感じるのか考えたことはなかったんだけど、ちょっとわかった。

「自分」がその場にいることで天候に影響を与える、そういう認識が「仲間内」でもできあがっている、などの、「自分の存在の確かさ」に無邪気に自信を持っていることに対して、私は劣等感を感じるんだろう。

私が「雨女」か「晴れ女」のどちらかだなんて考えようとしたことないもんな。

でも、この日はバイクに乗るぞ、と決めているとなんだか雨ばっかり降るので、もしかしたら雨女なのかも。

 

twitterか何かで、「飲み会などでたまに話の中心のターンが自分に回ってくると、申し訳ないような気持ちになる」っていうような誰かの発言が確かあったんだけど、とっても共感した。中心とか、注目とか、いやいや申し訳ない忍びない、そんな私なんぞの話に耳を傾けないでくだせえ、って居心地が悪くなる。さっさと自分のターンは終わらせて、渦の中心から外れると、ホッとする。

同様の理由で、美容室がすごく苦手。美容師さんと一対一で、しかも話題は「お客」の私を中心に進めようとしてくるから、へにゃ〜ってなっちゃう。ないよ、膨らむほどの私の話題。趣味とか私生活とか、髪切り終わったらどこ行くのかとか、もう、やめてください…といつも思っています。髪染められてて美容師さん2人がかりで接客とかされてると「ヒー」って思っちゃう。

でも、『話しかけないで』オーラをびんびん出すほどの度胸はないから中途半端な態度で、鏡の中で自分の困った笑顔などを見るはめになる。

友達と結婚の話などしていても、私は結婚式って開きたくないなあ…っていつも思う。

式に呼べるような交友関係が広くないという理由ももちろんあるけど笑、自分の晴れ姿なんかを!?人をわざわざ集めて!?披露!? いやいやいや……と思っちゃうの。

今までの人生で支えてくれた人達へのご報告会、ありがとう会みたいな意味も結婚式にはあるだろうし、新郎さんはちゃんと普通に式開きたい人かもしれないけど。

 

なんとも主体性に欠ける人生!

でも昨日は、初めて手相占いを受けてみて、「…人生、がんばろ!」と前向きに思えたので、ちゃんと人生自分で進めてかなきゃね。

…今年か来年には"出会い"があるらしいですし!!(鼻息)