苦い夜

仲違いしたまま、もう二度と絶対にその人に会えなくなるの、どんな気分なんだろう。

私はまだその状況に直面したことがないけれど、おそらくその状況がもたらすのに似た感情を持つ相手がいて、それは大学生の頃亡くなった祖父なんだけど。

私の臆病さ、怠惰、情の薄さが、私のなかで今も罪悪感をざわざわと蠢かさせて本当にだめな人間だって気分になる。正体のなくなった祖父がどんな風な想いを抱えてベッドに横たわって管に繋がれてたかと考えると。お葬式のときに本当に久々に見た祖父が、面影もなく骨と皮だけの別人になって、固そうな布団の中で縮こまっていて、そのときの驚きを思い出すと。

そして、私はまた今現在でさえおんなじことを繰り返そうとしているし。

 

恩に報いること、ここで情を尽くすべきタイミング、などを、臆病さや怠惰さから私は逸し続けている。

---------------------------------------------------------------------------------------

母の知り合いの娘さんが重度の障害を持っていて、自分だけの体では呼吸もできなくて車いすに乗っている方だった。

その人が、大学か何かへ呼ばれて講演をしたことがあったと母が教えてくれた話があって。最後の質問タイムのような時間に、ある学生がその人に、「そういう体で生きている意味はあるんですか」といった趣旨のことを訊いたそうだ。憤りと戸惑いと呆れで体からへなっと力が抜けること言いやがるよね。で、その人が答えたことには、「私は一人では生きられない。たくさんの人が支えてくれている私の生はとっても幸せ」と。

大学の教職過程で、その人がいるケアセンターで実習させてもらった。

私はその人のいる部屋には割り当てられなくて、接する機会もなかったんだけど。母の知り合いであるその人のお母さんと、その人と少しだけ挨拶しただけ。5日間だったかな…その何日間かの実習を終える最後のとき、ケアセンターの人が集まってお別れの会のような時間を作ってくれた。で実習生に何か質問か言葉かを、職員さんがその場でマイクを持って有志の人に聞いてくれた。

その有志の人のなかにその人はいて、何か私たち実習生に言葉をくれた。

質問だったか、送る言葉だったのか、今はもう覚えていない。

でも何かユーモアがあって、実習でうまくやりきれなくて沈んでいた私の気持ちを軽くしてくれた、そういう言葉だった。そのときのなんだか救われた感触だけは覚えている。

その実習からどれくらい経ったか忘れてしまったけど、母からその人が亡くなったのを聞いた。もともと体は弱いから、長生きはできなかったんだって。

その人が亡くなってこの世からいなくなってしまったこと、なんだか心の支えが一本なくなってしまったように心細く感じた。し、誰かの死の報せを聞けば今でもその人のことを思い出す。それで、あの人はもういないのかあ…と不思議な気分になって、心細くなる。

接点なんかほとんどなかったのに、私のなかにそういう残り方をしている。

 

そういうことを今日はまた思い出したので書き留めました。