落とし物を通じてどこかの世界を覗き見る

先々週、世田谷文学館で開催されている『星を賣る店 クラフト・エヴィング商會のおかしな展覧会』を観てきました。

装幀を主に手がけてきた ”クラフト・エヴィング商會” が作ったり、拾い上げたりした品々にくすりとする視点からなる文章を添えた、軽やかな展示。

 

舌で味わう詩。遥か昔に暗号で書かれた魂の剥製に関する手記。失った記憶の詰まった雲砂糖。子どもの頃、路上いっぱいに絵を描いたローセキ。かつて烏賊墨の入っていた空瓶 ーーなどなどが展示されてる。

展示された作品そのものが美しく儚げ、かつ品があって、見ているだけでもぐっと引き込まれるんだけど、添えられた短い文章がとてもいい。不可思議な設定、ルールが当たり前の架空の世界が、どこかに本当にあるように感じさせる軽やかなユーモア、語り口。

それらをずっと見ていると、ウソとホントの入り交じる境界線にぽっと転がっていたモノを本当に拾ってきて紹介してくれてるんだって思えてくる。

 

夕暮れ、ごはんの匂いが漂ってきた路地。古書店のうず高く積もった本のタワーの奥に潜む小人たち。人のいない神社で拾ったどんぐり。狐の嫁入り直後、湿った空気にさっと渡る風。晴れ上がった一瞬。

そういう、あわい何か、ひととき。忘れられたどこかの世界の断片が、こっちの現実の世界にぽろりと落っこちてきてしまったような印象。

こちらからの自由なアクセスはできなくて、たまたま気まぐれに繋がってしまったような、あっちの世界の住人の落とし物のような。どこかのラジオのノイズのような。

丁寧に作られた作品や蒐集の様子が、そういった落とし物をそっとピンセットで微細な手つきで扱うような空気感があって、激しくツボな展示会でした。

 

 

 

星を賣る店

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