眼球と頭で地球を丸ごとこねくりまわす
先週金曜、『歩きながら考える』というリトルプレスの最新号刊行を記念した、菅俊一さんの ”目に見えないつながりを発見する”と題されたレクチャーを聴いてきました。
日常のなかでだって、自分さえ意識していれば、おもしろいことはたくさん転がっているはず、見つけられるはず!と最後には希望で胸も鼻の穴もふくらんで、鼻息の荒くなったレクチャーだった。
おもしろいひと、頭のやわらかいひとはいつもそよ風が吹いてる感じだね。風通しがよい。
以下備忘録を兼ねて。
頭やわらかな菅さんが普段やられている「つながりの発見」方法とは。
①気になったものをひたすら収集する。理屈はさておき、とりあえず記録。
②気になった・おもしろく感じた理由を分析し、言語化する。(そのままいったん寝かせることもあるっぽい)
③事項を分類・整理。抽象化により、共通項を見つける。
日常のなかに点在するばらばらの要素を、『要素』として見つけ出して、分析と整理によって独自の繋がりを見ること。
なんとなく私がイメージした画としては。意識しなければただのっぺらな地平に、まず目を注意深く向けていろいろな要素を見つけ出す。その要素はばらばらに立つ、大きさも高さもまちまちの針なようなもので、それだけだとなんのかたちも浮かばない状態に、自らが見つけた要素の共通項っていう糸をす〜っ通して針同士を繋げていって、その人なりのかたち・風景を見せる感じ。
菅さんはEテレの『2355/0655』の映像も作っている方。彼が手がけた映像や気になって記録した写真群から感じた面白さって「気づき」の感覚を鑑賞者自身が得るところにあると思った。
…など。たぶんこれらのときに脳が「あっ」って感じに愉快になる。
面白さの由来は、視点・発想の行き来を感じたとき、全体像を得たとき。
固定化された視点から、ぐっと寄ったり遠ざかったりできたとき。
たとえば、菅さんが見せてくれた写真では、でこぼこと粗い造形の粘土の塊に、白い灯台のミニチュアが刺さっている写真。幼児がぺたぺた触っただけのような無骨な粘土だけど、灯台がくっついてるだけで島か岩のように感じられる。質感のジャンプ。
そして、その灯台からすうっと遠ざかった写真。がらんとした部屋に、小さな灯台だけが浮かんでいる。すると、部屋全体が広大な海原のように見える。部屋が大きくなったようにも、自分が小さくなったようにも思える。
あることを感じたあとでは、世界が変わって見える。
ものごとを詳細に観察して、繋がりを見つける。繋がりを見つけるちからは離れた地点を見つけることを可能にする。遠くにジャンプできるなら、より全体を知ることもできる。全体像を知っていれば、角度を変えたり、ぐぐっと近寄った見方をしても、軸やかたちがぶれることがない。
たぶんそんな感じ。
ほんとうにメモと印象の走り書きになったな……。