ありがたい口元の陰影
円空展を観てきました。
17世紀に修験者として諸国を巡って、行く先々の村に仏像を残したそうな。
一生のうちに12万体掘る!と決めた円空さんの仏像は、今も5000体以上残っているらしい。
今回の展示で見られた仏像たちは、ほとんどが両手で持ち上げられそうなくらいの大きさなんだけど、そのどれもがすごくよかった。
ノミの跡がまるきりわかる、本当に手数が少なく掘られた仏像たちは、どれも愛嬌のある形と表情をしている。
木を断ち割って、少ない手数で掘られた仏像は、体の後ろの面も真っ平らで、実は薄いし、一見して荒く思えるノミ跡で、現代で通常見られるような仏像とは違った印象なんだけど、これがそっけないとか手抜きとかそういったことは思わせないで、むしろ、当時の人びとの生活と共にあった信仰というものを感じさせる。
一本の木から作られたんだってわかる、すっとした佇まいは、こちらも背筋を伸ばされるような。
木は掘ったままで何も塗装していないから、ぱっかり割った木の筋が縦にいくつも伸びてるのがよく見られる部分もある。さっさっさっと走る溝に、川の流れも感じる。
また、大胆にデフォルメした形は、凹凸も激しく、光の当たり方によって隣り合った形も大きく陰影ができていて、まるでごつごつした岩のようでも、山の稜線のようでもある。
サイズとしては決して大きくないし、木そのものなのに、豊かな自然を感じさせられるんだよね。
簡潔に掘られてるから、ノミの跡をひとつひとつ追うこともできる。身体性に、ぐっとこっちも引き込まれるような。当時の円空が仏像を掘ってるのを追える感じ。時間を飛び越えて、こう迫ってく感じ。仏像も、当時の信仰も身近に思える。
いっぽうで、木そのものの素材感がわかるからこその、樹木の神秘性みたいな、そういうオーラもある。
そして、表情。もう目とか鼻、口は、ちょっちょっとほった溝や、ただの細い線なのに、こう…涅槃だわ〜仏様だわ〜ありがたい!って表情なの。あったかみ。口元の幽かな、でも確かな微笑み。頬から口にかけての陰影やくぼみ見てると吸い込まれそうな感じ。
あと、手も、全然彫り込まれてるわけじゃないのに、ちょっとした仕草や表情に溢れてる。
簡潔な形態はシンボリックでもあって、いくつかは仏像っていうかもっともっと昔の土着的な何かすら漂ってる。『宇賀神像』なんてもはやゆるキャラ!なんだろうあの愛しさ!
仏様を拝む習慣はないけど、円空の仏像は、机の上に並べて毎朝手を合わせて、たまにちょっと握ったりもして、生活を共にしたい、と思いました。