瀬戸内の島へ行ってきました ②豊島美術館編

前回の記事で書いた豊島への旅行の覚え書きの続きです。

 

太陽にきらきらと反射する穏やかな海と青い空を臨んだ坂道をくだれば、青々とした緑のなかにゆったりと横たわる、曲線でできた白い建物が見えてくる。

小さな入り口のある雫のような形のものがひとつ、天井に大きく円形の穴があいている建物というべきか、オブジェのようなものがひとつ。西沢立衛による建築とのこと。

主張が強いわけではないのに、不思議な存在感。

 

内藤礼の『母型』という作品は、天井に穴のある建物にて体験ができます。そこに入るまでの順路も、緑のなか、白い道をゆったり散策するようになっていて気持ちが和らぐ。振り返れば棚田! めっちゃ緑&空!  

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 緑の小道を抜けて、靴を脱いでから建物の中へ。館内は撮影できないので写真はないんだけど……これがまたなんとも言えない空気に満ちていて、素晴らしいのです。

柱がないという構造のコンクリートでできた建物は天井が低く、小さな音も反響する。ひんやりとしたコンクリートの床をそっと歩いていけば、円形にくり抜かれた2箇所の天井から、太陽の光が丸く、白く降り注いでいる。

館内にいる人たちは静かに呼吸をして、思い思いにこの空間を楽しんでいる。なかには仰向けになって眠っている様子の人も。本当に、気持ちのいい空間なんですよ…!

 

建物はゆるやかに傾斜していて、丸くあいた天井の下あたりがちょうど一番低いような構造。そこには大きな水たまり。湖みたいになっている。

天井をくり抜かれて丸く光る地面は、なんとなく冒しがたい神聖な場所っぽい雰囲気がぷんぷん。そして”祝福”って感じ。どうしようもなく神秘的な気分になってしまう。

 

地面をよくよく見てみると、ところどころに水らしきものが。水の形は様々で、10センチほどの楕円状のものや、円形の粒々としたかわいらしい形のものもある。

初めは水を模した、形状の定まった物体だと思っていたけれど、歩を進めていくうち、足下を走るものがあった。床の傾斜に従って、流れていく水でした。

どうやら、ところどころにある水らしきものは本物の水のよう。

 

コンクリートにどっかりと腰を下ろして観察をすると、それらは、床に小さくあいた穴からぷくーっと沸いてきたり、床に置かれた白いピンポン玉のようなものの頂点からぷくり、ぷくり、と落ちてくるのが溜まってできている水でした。

ぷくーっと水が沸いたり、水滴がぷくり、ぷくりと生まれていく様子は、なんだかとても愛おしく感じる。まさに”誕生”って感じなの。

水滴や小さな水たまりは、じっと見ていると意外にも地面に対して「立っている」って存在感がある。水って厚いんだな、…これって本当に水?って改めて疑問に思ったくらい。あとで美術館の人に聞いたら、豊島の湧き水だそう。間近で観察すると、身近に思ってた物質が新しく見えるものなんですね。

 

生まれたそばから水滴同士が合流して大きくなったり、そのうち小さな水たまりになって、その水たまりにまた小さな粒が合流して、やがて重力に従ってススっと移動し始める。そのまま止まることもあれば、また別の水たまりとぶつかって、大きくなって速度を増して走り出すこともある。

ほんとに「走り出す」って感じで、一気に流れていく。ターッと走り出した水の列は、意志を持っているかのよう。水滴だったときは「自然」って感じなんだけど、流れ始めると「生きもの」みたい。

縦に長く伸びた水は、ぐるぐると水流をきらめかせながら、うねり、ときに床の突起か何かで方向を少し転じながら、低い位置に溜まった大きな湖へ一目散へ向かっていく。長い体でにゅるんにゅるんと移動する様子は蛇のようでもある。あるいは風にたなびく布のようにも見える。

走る水が道の途中で分裂したり、その分裂した水が、床で留まっていた他の水と合流してまた走り出したり。

 

そして、それらがゴールとしての湖に入ってしまえば、もう「生きもの」とは感じなくなる。個体でなくなってしまう。無垢に一心に走っていた個体が、意志も思考も失ってしまった、という消失の悲しみを勝手に感じる。自然と”死”を感じるのだ。

湖は、走って入っていった水の一本分、わずかに入り口がへこむんだけど、水面をちょっと揺らすに留めて、すぐに元通りになる。実体を見ていればあまり変化はないように思う。でも、湖のところは天井がないだけ太陽の光を直接受けていて、かつ建物の天井が低いから、その水面の反射が少し離れた天井に映っている。その反射を見ていると、走って入る水によって、絶えず水面には波紋が広がっていることがわかる。

 

こういう、水の動きを見ているだけでもほんっとに飽きなくて何時間でもいられる、いちゃう、と思う。

 

 

床には排水するための小さな穴がたまに設けられてて、計算された傾斜によって、ゴルフボールがホールに吸い込まれてくみたいにすうっと水が入って行く。そのときに発する、水が管を下っていくスロロロロ……という音。

うつぶせになって、ピンポン玉から水滴が落ちるのを間近で見てみれば、水滴が生まれて落ちるときに聞こえる小さなプツ、プツ、という音。

実りの秋、ということで作物を荒らす害鳥除けのための空砲が、パー…ンンと反響する音。

風が渡って葉や草を揺らす音、鳥のさえずり、虫の鳴き声。

不思議といろんな音が聴こえてくる。普段だったら気付けなかった、ずっとあったはずの音の存在がクリアに届く。

 

 

開放された天井には、円を渡るようにすずらんテープのようなものがゆったりと吊るされていて、気付かないほどの風にもはかなく揺らぐ。光に透かれたテープの落ちる影は、太くなったり細くなったり、ところによって濃淡を変えている。

ずっと過ごしていれば、天井から降る丸い光の位置が少しずつ変わっていくのもわかる。

たまに迷い込んだ虫やらがコンクリートの上にぽつんといて、虫は基本的に苦手なのに、なんだか愛おしく見つめてしまうんですよ。

はぁ〜…ってなため息が出る。あの空間の、心がほどけて静かに凪いでく感じ、どう表現したらいいんだろ……。

 

 

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豊島美術館に着いたときには、まだ豊島の作品を回りきれていなかったので、名残り惜しみつつ退散。でも、この時点で、時間帯を変えてもう一度豊島美術館に来てやる!と決めていました。チケットがあれば再入場可能なので、島を一周して夕方頃の美術館を堪能してやるんだ!と。

 

 

唐櫃港のほうへ自転車を走らせ、ボルタンスキーの作品を見たり聴いたり海をぼーっと眺めたり。バスケットボールを投げたり謎のドラえもんの石像を見つけて笑ったり。

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きっと島の人がここに座って海を眺めるんだろうな〜って感じの切り株。

 

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口元とか笑ゥせぇるすまんっぽい。色々気になるちょっと意地汚さそうなドラ…笑

 

 

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建具を集めてトンネル状にした『遠い記憶』という作品。屋外にあるのでそのまま草も生えて一緒になってきてる。

唐櫃港からこの作品までの道、すごく山道なんだけど、最後めちゃくちゃ気持ちいい下り坂をシャーっと自転車で走れて気持ちよかった。でも速度注意。

 

 

再入場時間可能な16:30目指して自転車を漕ぎ漕ぎ。島を1周半すると、電気のアシストを受けてももう結構疲れ果てていて、途中で何度も休憩を挟みながら、やってきました豊島美術館。思ったよりまだ西日って感じじゃないけど、間に合って嬉しい豊島美術館

夕方となると人もまばら。

天井から差す光はだいぶ位置が変わっていて、ふたつの穴のうちひとつはもう床に光が落ちてない。

疲れた体をうつぶせにして、ぷつぷつ落ちる水滴を間近で見る。そしたらもう、夕方の光が水滴ひとつひとつに光って眩しいくらい輝いてるんですよ。ウォォ…命……命やぁ……!って感動しすぎてばかみたいな感想しか浮ばない。

光ってて、ひとつひとつの玉の中に風景が映り込んでて。それらが、他の雫と合体して、動いて、より大きな塊に消えていく。宇宙の流転やなぁ……みたいな、自然とオカルティックな気持ちになる。

 

 

風も光も音も遮断されることがない作品だから、時間や天候によって違う顔を見せてくれる。季節によって水の流れる音の聴こえ方も変わるし、雨の日もまた全然違う様相できれいって美術館の人が言ってました。地元の人も、雨の日の豊島美術館がいちばん好きって言ってて、ウッ…また来たいぞ豊島!って思いました。

そういえば帰る日の岡山駅に向かうタクシーの運転手さんも、ここの10月末頃の海に落ちる夕陽は別格、独特って言ってたし……また秋頃に瀬戸内へ来て、夕陽見て、雨の豊島美術館見たいな〜! 

  

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 豊島のことは以上です。

犬島のこともちょっと残しておきたいかもだ…。